奄美のご出身の福島さん。
鹿児島に行くのにもパスポートが必要だった時代のお話をいつもしてくださいます。 貴重〜!
また、お話、是非お聞かせください!
せっかくなので、少しだけですが調べてみました。
戦後、しばらくの間、奄美諸島は旧アメリカ領だったんですって!?! (同じ鹿児島県だというのに、知らなさすぎて猛反省、、、)
1945年8月15日 太平洋戦争の終結(当時、日本では「大東亜戦争」と呼んでいましたが、敗戦後、1952年4月28日まで、GHQの占領下において、この呼称を公文書にて使用することが禁止されました)。
当日は、正午より、「大東亜戦争終結ノ詔書(通称終戦の詔勅)」を昭和天皇が朗読したものがラジオにて放送(いわゆる玉音放送)され、国民及び陸海軍に「ポツダム宣言」の受諾と降伏の決定が伝えられました。
詔の発布及び玉音放送は、必ずしも法制上の必要があって行われたものではないそうが、天皇が初めて肉声をラジオで公開し、敗戦と降伏を発表したという意味で、このラジオ放送は、国民にとって敗戦の象徴ともいうべき存在となり、大きな衝撃を与えました。
この日をもって、アメリカ合衆国との戦争が、事実上終了しました(ソビエト連邦とは9月4日まで軍事衝突が続きました)。
終戦の詔勅は、降伏と敗戦を国民に伝達するものでしたが、ポツダム宣言の受諾通告は8月14日に行われ、軍への正式な停戦命令が行われたのは翌8月16日でした。
また、日本が連合国に対して正式に降伏を行ったのは、ポツダム宣言受諾の降伏文書に調印した1945年9月2日。アメリカではこの日を対日戦勝記念日(VJ Day)としています(ソ連と中国では翌9月3日)。
戦争終結は、日本国との平和条約(通称: サンフランシスコ平和条約)が発効した(1952年4月28日)をもって、国際法上の正式の日付とされました(ただし、ソビエト連邦のように、この条約に署名しなかった国については、相手国と日本が単独で講和条約を結ぶまで戦争状態が継続したことになります)。
8月15日が終戦記念日とされるようになったのは、1982年4月13日の閣議決定によるもので、「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」と位置づけられ、1963年以降政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で行われている(日本武道館での開催は1965年から行われていました)。
1946年2月2日 北緯30度以南の奄美諸島は日本の行政権から切り離され、米軍の統治下に入ります。
1952年2月4日 サンフランシスコ平和条約に基づき、北緯29度以北(トカラ列島の十島村)が日本へ復帰します。
1953年12月25日 奄美諸島が日本へ復帰。奄美諸島が日本へ復帰したのは、なんと終戦から8年以上が過ぎてからだったとは、、、パスポートが必要だったのは、戦後からこの間のことなのでしょう。
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インターネットなら 「ポツダム宣言」の原文も読めます。 http://list.room.ne.jp/~lawtext/1945Potsdam.html
ハワイの姉によると、アメリカは昨日(ハワイ時間では24日の木曜日)サンクスギビングデイが終わり、本格的なホリデイモードに突入したそうです。サンクスギビングデイの次の日は、早朝からセールセールセールで、どこもかしこもショッピングする人たちで大賑わいだそうです。来週後半にはもう12月。12月のハワイと言えば、クジラウォッチングのシーズン到来。そして、ノースショアの、ビッグウェーブのシーズン到来。でもその前に、「パールハーバー」です。12月8日(ハワイ現地時間では12月7日)、ハワイはあれから64年が経ち、その日、65年目をむかえます。
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Date: 2005/11/26 (Sat) 03:22:12
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